木原啓貴(きはら ひろたか)

名前:木原啓貴(きはら ひろたか)
生年月日:1976年11月5日
出身地:東京都
出身校:日本大学法学部卒業
担当レッスン:エアロ、ステップ、ダンスエアロ、ポルドブラ
HP:http://peacewell.co.jp/
ブログ:https://ameblo.jp/star-smile-hk/
契約ウェア会社:株式会社LA BODY
オススメのサプリメント:アバンド

この業界に入るキッカケは何だったんですか?

木原-もともとトレーニングが好きでした。大学3年生の時にトレーニング目的でジムに入ったのがキッカケでした。今では珍しいんですけど、当時のスタジオはオープンスタジオと言って、スタジオとジムがワンフロアーにあったんです。トレーニングしてる横でガンガンに音がなってて、スタジオレッスンを見て「何だこれ?なんか楽しそうだな」と思ったのが出会いでした。

 エアロビクスやヒップホップ、ステップのクラスなど色々なクラスに参加してました。はまっちゃって、休みの日は朝から晩まで1日中スタジオレッスンに参加してました。

青貝-そうなんですね。でも、その時期って就職活動の時期ですよね。木原さんは、法学部出身ということですが、その方面に進まなかったのですか?

木原-当時、就職活動もしていたのですが、どうしても気持ちがあまり入らず、「インストラクターになりたいな」っていう気持ちが強くなっていました。
ちょうど年齢が近いインストラクターさんとよく話すようになっていた時期で、どういう仕事か聞いたら「楽しいよ」という言葉もあり、「よし!やってみようかな」という気持ちになりました。なので途中で就職活動をやめましたね。

青貝-えー?もったいないじゃないですか(笑)

木原-一応、親にも相談しました。「やりたいことやったらいいんじゃない」と言ってもらえて、やりたいことやらしてもらいましたね。養成コースの費用は全額、自分で出そうと決めていたので、アルバイトで半年間お金を貯めてから養成コースに入りました。

養成コースはどこに通っていたんですか?期間はどれぐらいですか?

木原-ティップネスのエアロビクス養成コースで基礎科3ヶ月・応用科3ヶ月の合計6ヶ月通いました。養成コースを選ぶにあたり、厳しそうな所というのを基準にしました。トレーニングもしっかりしたかったですし。

青貝-養成コースを出てすぐレギュラーレッスンは持てましたか?

木原-基礎科に通っている時に、初めて受けたオーディションに合格しました。初めてのレギュラーレッスンは、埼玉県草加のスポーツクラブで水曜日の夜遅い時間、40分間のエアロビクス初級クラスでした。そこからがスタートでした。
初めは40分が長くてしょうがなかったです。懐かしいなぁ・・・(遠い目)

その後は応用科にいくまでに週2〜3本はレギュラーレッスンを担当してました。応用科を卒業する時期に、オーディションを片っ端から受け、結果として10本強ほどのレギュラーレッスンを持てました。
卒業後にもオーディションを受けて8割ぐらいは合格しました。

青貝-卒業時の担当カテゴリーはエアロビクスのみだったんですね。

カテゴリーを増やすタイミングはありましたか?

木原-そうですね。エアロビクスのみでデビューしました。デビューして半年後にステップのレッスンを持つことになったのですが、踏み台昇降レベルでしか知らなかったので、マーカス・アーウィン氏のビデオを見て勉強しました。今ではDVDやYouTubeなどの指導者用教材がありますが、当時はそんなのがなくて、見よう見まねでやりましたね。最初はお客様もあたたかい目で見てくれたので、一緒に成長できたように思います。

青貝-ビデオ(VHS)だったんですねー!時代を感じますねー!!

木原-その後、相原 正人さん主催のステップ勉強会に入ったのが大きかったですね。月1回、2時間ぐらいでした。竹ヶ原 佳苗さんに出会ったのも、その勉強会でした。
相原さんにお声がけ頂いて、有明スポーツセンターでステップのイベントレッスンやインストラクター向けのワークショップも初めて担当しました。

青貝-初めてのワークショップデビューはステップからだったんですね!!
勉強会でいろんな繋がりが出来たんですね。2年目には週20本だったそうですが、仕事が増えたタイミングなどはありましたか?

木原-1番多かった時期は、ゴールドジムでレッスンしていた時ですね。新店がオープンする際にディレクターの竹ケ原さんに声をかけていただきました。各クラブのステッパーと呼ばれるフリークの方にたくさん参加して頂きました。整理券が配布されたり、行列ができるくらいになりましたね。

当時、複雑な内容をしてたのですが、ある日突然シンプルな内容にしたんです。(この時、一瞬木原さんの表情が変わった)

え?!整理券のクラスが?!
それはかなり大きな決断だったのではないですか?

木原-はい。お客様も一気に2〜3人に減りましたね。
「シンプルだけど、よりダイナミックに体を使えるようになって欲しい。」と思い、変えました。
人数は一気に減りましたが、貫き通しましたね。すると新しいお客様が来てくださるようになり、最終的には20人強にまで少しずつ増えました。

青貝-いま担当してるステップもシンプルなスタイルなんですか?

木原-今はレギュラーレッスンでは上級のクラスを持ってないのですが、
「できるだけ無理のない内容に」
「流れを止めないように」
というのを心がけています。流れがとても大事なので、脚に負担がかかる動きが無い構成にしています。

青貝-なるほど。私も前に木原さんのエアロのレッスン受けさせて頂いた時、流れるフローの動作が多いのと、慣性の法則に逆らわないコリオグラフィーで、動きやすいというのが印象的でした。
エアロの話も伺いたいのですが、始めたばかりの時はハイインパクト系のエアロでしたよね?

いつ頃から今のようなダンステイストが入ったエアロになりましたか?

木原-始めた頃は、走る系や手振りが付いてましたが、今はあまりやってないですね。

青貝-そのあたりも、時代の流れに沿ってご自身でも変えてきた感じでしょうか?

木原-ダンス系のエアロが今ほどブームになる前から、やりたいなという気持ちがあり、オリジナルのクラスでダンステイストを取り入れるようになりました。始めは全く指導ができなかったのですが、少しずつスタイルが出せるようになりました。アシンメトリーの要素などを取り入れるようになりました。
自身でもダンス教室に通いながら勉強して、指導していましたね。

プレコリオも担当されていますが、何かキッカケなどがあったのですか?

木原-竹ヶ原さんにお声がけ頂いて、アスリエでアドバイザーを任されたのがきっかけでした。
ポルドブラ はフリオ・パピィ氏(スペイン)とウラディーミール氏(ロシア)が作ったプログラムですが、フリオ・パピィ氏が来日した時に直接指導を受けました。
ポルドブラはセミプレコリオなので基本の動きを大切に指導しています。レッスンを通じて、身体の使い方を知って欲しいと思っています。

青貝-2012年には「iMワークス」というインストラクター向けのメンタルワークショップを展開。2013年には屋外型フィットネスイベント「OUT MOTIONS」をスタートさせたリ、これまでにないものを生み出しきたようですね。そこで、

法人化されたのはどういった理由でしょうか?

木原-ずっとインストラクターやってきて、この世界でやっていくと決めていました。「いずれ会社にしないと事業拡張できない」と思っていて、時期早々かもでしたが2016年8月に法人化に踏み切りました。自身を追い込むという意味もありましたね。

青貝-え?2016年?勝手ながらもっと長いイメージでした。
法人化したことで広がった事業はありましたか?

木原-川口フィットネスフェスを開催する時はとても動きやすかったです。スポンサーを募ってのイベントを開催したのも、このイベントが初めてでした。

昨年は、市の後援を取ったり、企画段階ではどうやったら開催できるか解らなかったのですが、周りの人にたくさん教えてもらいました。
電話1本かけて聞くことをしないがために実現できてない事ってたくさんあると思っていて、市役所や周りの人にたくさん聞きながら、実施できるようになりました。「やる!」と決めて動いて学んだのが形になりました。

今後の展望などはありますか?

木原-今後は脳活学という脳を診断した上で運動指導をする法人向けプログラムに力を入れていきたいと思っています。ストレッチやダンスをすることで、身体にも心にも良いということをアピールしていきたいです。

最後にメッセージをお願いします。

木原-私たちが行なっている運動は安全で効果があって楽しいという三原則を満たせるものです。
スポーツクラブに入っている方や愛好家の方は、今の状況をもっと大事にしてほしいと思います。
まだ運動をはじめてない人には、「運動は楽しい」というのを体験したり知って欲しいです。自身も機会を作っていくので、体験して欲しいです。

※掲載内容は、2019年2月の取材時点での情報です。最新の情報は、オフィシャルHPやブログ等をご参照ください。