馬場 恵里奈(ばば えりな)

名前:馬場 恵里奈( ばば えりな )
生年月日:1982年4月3日
出身地:神奈川県
担当レッスン:エアロビクス・STEP・筋コンディショニング・BAILA BAILA・AER☆STER X・DDD HOUSE WORKOUT X
ブログ:https://ameblo.jp/erina-bb-cookie/
契約ウェア会社:FREDDY

フィットネス業界との出会いはなんですか?

馬場ーこの業界との出会いは、摂食障害がキッカケでした。
ダイエットしようとして拒食症からの過食症になり、激太りしました。どうにか痩せようと思ってフィットネスクラブに入会しました。
食べ物のことしか考えてなかった脳内が、踊っている間だけ消えていたの。踊ってる時間は病気に支配されていない自分がいるのと、運動してたら痩せるなと思いました。
「私、この仕事してたら病気治るんじゃないかな〜」と思ったのがキッカケでした。

青貝ーそれは何歳ですか?

馬場ー19歳です。

青貝ー19歳でスポーツクラブ?早いね!!

馬場ー摂食障害の病気で、大学受験したけど全部落ちたの。当時は病気であることを受け入れらなかったけど、やっと病気だからと自覚して、「自分はゆっくり生きよう」って思ったの。フリーターしながら、フィットネスクラブ通い始めたけど、最初のうちは病気の支配下にあったの。
でも、だんだん自己表現ができるようになって、「自分はこれで良いんだ」と思えるようになって、いつの間にか摂食障害が治っていったの。

デビューしたのは何歳ですか?カテゴリーは?

馬場ーデビューは21歳です。最初はエアロビクスだけでした。
仕事が楽しくなってた時には、もう病気のことは忘れてました。

通っていたスポーツクラブで当時、好きだったインストラクターさんに「どうやったらなれますか?」って自分で聞いてエアロビクスの養成コースに行きました。

青貝ーお客さんから先生になろうと思ったキッカケは何ですか?

馬場ー「これ(レッスン)をずっとするには、仕事にするしかない」と思ったからです。
うふふふふ

仕事にしたら嫌いになるとかはないですか?

馬場ー仕事にする前は思わなかったけど、仕事にしてから色々考えるようになりました。中上級のクラスの苦しみとか・・・
最初は仕事をしたら病気がよくなるみたいな(笑)バカな考え何だけどね、、、もう単細胞みたいな考えで(笑)ほんと若かったなと。

青貝ーレギュラーはすぐ持てましたか?

馬場ーレギュラーレッスンはすぐ持てました。だからこそ大変だったりしました。

青貝ー何が一番、大変でしたか?コリオ作り?ブレイクダウン?伝え方とかですか?

馬場ーもう、色々かな。養成コースではブレイクダウンを教えてもらう訳ではなく、レッスンを45分組み立てる内容しか無かったと思う。基本的な心拍数のベルカーブとかしか学ばなかったの。
だから、レッスンを受けるしか無かったかな。
私が養成に入った時は初級クラスのレッスンしか参加したことが無い状態でした。だから、上級クラスができるわけもなく・・・

ある時、契約したクラブに「初級のクラスで」って内容で仕事が受けたんです。でもクラブに行ったら看板には「上級クラス」ってなってて、あればびっくりして・・・。しょうがないから、自分が用意した初級のコリオをしたかな(笑)まぁ今となっては良い経験です。

22歳の時に東急スポーツオアシスと契約しました。
初級クラスは集客ができるようになったんだけど、上級のクラスの時は自分が訳わからなくなってしまって・・・武蔵小杉店の人には迷惑をかけたなぁ。
でも「このままじゃ私はダメだ!一回抜けて修行してきます!」と、一旦レッスンを抜けました。
その後、色んな先生のレッスンを受けて修行して戻りました。

青貝ーその時は、オアシスの色んな先生のレッスンを受けて修行したですか?

馬場ーいえ、色んなクラブの色んな先生のレッスンを受けました。

青貝ー男の先生?女の先生?

馬場ー関係なく受けました!!

青貝ー有名な先生?無名な先生も関係なく?

馬場ー関係なく!!

そこから人気の馬場ちゃんが、爆誕したのですか?

馬場ー修行していく中で、動きをどう作っていくのかが解るようになりました。それまで初級しか受けたことがなかったから
「そんな動きあるんだ!」
「そんなことやっていいんだ!」
「自由なんだ!」
っていうのが感覚としてだんだん解るようになってきました。
怪我はしたく無いので、流れるコリオとフットパターン中心の動きをするようになりました。
その時、フットパターン・リズムチェンジ系が流行った時に、自分の向いてるであろう動きと時代が重なったんだろうと思います。その時から、少しずつお客様が増えるようになりました。

あと、リードが独特っていう・・・

青貝ーうんうん、わかる。

馬場ーわーめっちゃ頷かれてる(笑)
自己表現して良いっていうのがだんだんわかってきたの。ステップに、自由な名前をつけるようになって、そうゆうのが好きな人が集まってくれるようになったんじゃ無いかなと思います。
「あ、とめ〜とめ〜とめこ〜」とか、もうそんな自由な感じでした。

プレコリオはしてましたか?

馬場ー最初はZUMBAをやってました。胸のアイソレーションとかが出来なくて、やり初めは苦労しまして・・・
最初は「ZUMBAって何だ?!」って感じで1週目は人がどっと入るんだけど、次の週から全く人が入らなくなったり・・・すごい経験だった。ありがたい。

青貝ーZUMBAのレッスンをしたのは日本に導入されてすぐ?

馬場ーZUMBAが出だした時ぐらいかな。
DDDに出会ったのは、AER☆STER からかな。東急スポーツオアシスに入るのが決まってからです。そこから、BAILA BAILADDD HOUSE WORKOUTも資格を取りました。

DDDのプログラム、上級エアロ、上級ステップ、ZUMBA・・・全部やってました。それで、体も心もパンクしそうになったのが28歳ぐらい。
でも、「今、辞めたら負けだ」と思ってたから自分でゴールを決めたの。
「わたし30歳になったらアドバンス(上級クラス)全部やめる」って。そこからまた頑張りました。

本当は全部やめようと思ってたんだけど、結果的に初級クラスとDDDのプログラムに絞りました。

たくさんレッスン持ってましたよね。週何本持ってましたか?

馬場ー最高は週36本でした。そこから半分以下の15本ぐらいにしました。
私はある先生が40本って聞いたことがあってそこを目標にしようと思って。私って目標を決めたらそこに向かって突っ走るタイプだから(笑)でも36本が限界だったな。

青貝ーよく決断しましたね。当時のお客さんはびっくりしなかった?

馬場ー「このまま続けてても、このクオリティは保てない」って思いました。
最後は賞状もらったりして、有難たかったです。

青貝ーカテゴリーを絞ってから、どんな変化がありましたか?

馬場ーお酒が飲めるようになったり、喘息が治ったりしました。
あとレッスンが楽しくなるようになりました!!そして、心に余裕がでてきました。

馬場ちゃんのポリシーは何ですか?

馬場ーやっぱり楽しくかな。「エンジョイ!」

青貝ーチームを作りはAER☆STERのレッスンを始めてからですか?それまでチームを作ったことはありましたか?

馬場ーAER☆STER CUPの大阪大会が初めて開催される時に、「チームを作って欲しい」と言われて、急遽DDDの関係者と一緒にチームを作って出演したのが最初でした。
そこから、他のお客様と一緒にチームを作るようになりました。

青貝ー馬場ちゃんの振り付けって面白いよね。構成とか。

馬場ー基本的にあんまり綺麗に魅せるとかじゃなく、どうやったら面白いかしか考えてないかな。

青貝ーチームいっぱい手がけてますよね。振り付けとか作る時はどうしてますか?

馬場ーコンセプトが先に必要で。そこから、どうした良いか動画見たりして考えてます。逆に綺麗なフォーメーションとかは作れないかな。

「他の先生のレッスンも受けてね」って言うのが面白いですよね

馬場ー「他の先生のレッスンも受けてね」って言う理由は、同じ振り付けでも一回言われたことを、また別の先生の言葉で上乗せしたら理解する人もいると思うから。
お客様が色んな先生のクラスを受けてくれるのは嬉しいと思う。

青貝ー去年、妊娠して今年ご出産されましたね。

仕事から離れている期間はどうでしたか?

馬場ーつわりが酷かったのですが、外にでている方が私はアドレナリンが出て楽でした。
仕事を離れてからは喪失感からか、悪夢をみるようになりました。
レッスン中に音がでなくなったり、声がでなくなったり、進んでも進んでもお店に辿り着かなかったり。
2週間ぐらいすると、見なくなりました。多分、体が諦めたんだと思う。

青貝ー体って不思議だね。どうせなら、良い夢見させてくれよって思うよね(笑)
今年の7月から復帰してどうでしたか?

馬場ー「スタジオっていいね!楽しいね!!」って思いました。
10月からは少しずつレギュラーも増やしていく予定です。
青貝ー今後、チャレンジしたいことは何ですか?
馬場ーCHAKABOOMのプログラムです。CHAKABOOMを楽しく生活に取り入れて、楽しく仕事がしたいです。

最後にお客様へメッセージをお願いします

馬場ー「人生足腰」「健康第一」!!!

※掲載内容は、2019年の取材時点での情報です。最新の情報は、オフィシャルHPやブログ等をご参照ください。









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