好きを発信していきたい|高橋 奈緒子(たかはし なおこ)

名前:高橋奈緒子(たかはし なおこ )
生年月日:1974年6月21日
出身地:広島県
出身校:京都外国語大学
担当レッスン:ダンスエアロ、リトモス、ZUMBA、ポルドブラ
養成コース:オージースポーツエアロ養成コース
instagram:Nyaochin705
契約ウェア会社:MYDANCE

フィットネスの仕事を始めようと思ったのは?

高橋-自分が専業主婦で32歳の時、「自分にもできるんだ」「自分にできることは皆んなにもできるんだよ」って事を伝えたくなって始めました。
アルバイトで入っていたスポーツクラブに、リトモスが導入されレッスンを受けて衝撃が走ったんです。「このプログラムのインストラクターになりたい!」って思った。

「あんたなんか無理無理!」って言われたりもしたけど、「10回落ちてでもやる!ダメやからこそ、やるねん!異例のインストラクターになる!」って気持ちでした。
1回で通ると思ってなかったし、「何回落ちてもやる!」と思ってはじめました。

ダンスが好き過ぎて、アホみたいに練習しました(笑)半年かけてレッスン受けて練習しました。勉強してる時に受けてた先生は染川先生で、染川先生にも感謝してます。かっこよくて、面白くて、楽しくてすごく良かった。
その後、すぐにリトモスのオフィシャルトレーナーの試験を受けて合格しました。

青貝-1回目で受かるのは、すごいですね。

もともとダンスはしてたのですか?

高橋-やってないです。ただダンスが好きなだけ。好き過ぎて独学で踊るみたいな感じ。なんとなくストリートダンス受けたりもしてました。
自分が20歳、バリバリでフィットネスクラブの会員だった時に、当時大好きだったエアロの先生がレッスンのラスト5分にダンスエアロみたいな事をしてくれたの。DianaKingsのShyGuyって曲に合わせて振り付けをしてくれて、それがすごくかっこよくて、すごく好きなの!その曲を買って、ずっと踊ってた。その時に「ダンスが好き」って思った。

リトモスの資格をとってすぐ仕事はありましたか?

高橋-そこからが茨の道だったんですよ・・・

資格をとったからといって、すぐ仕事がある訳じゃなく。「あんたはスタッフやったやん」って感じで、半年は仕事もらえずに・・・。
でも勉強の為に色んな先生のレッスンを受けに行ってました。スタジオの後ろの方で受けてたら、声をかけてもらい事情を話したら「今度、代行して!」と頼まれたんです。その先生も素敵な先生で、弟子入りしたいと思ったらご懐妊されて辞めるという事で逆に代行頼まれてびっくりしました。
それが運命のコスパ松井山手店のレッスンです。

青貝-はじめてのレギュラーが松井山手だったんですね。

高橋-そうです。代行レッスンした後にレギュラーレッスンになりました。ありがたいことにお客様がついてくれて、それを見てた福田真理子先生が

「あれだけお客様から慕われて、頑張ってる高橋ならおすすめできるわ」と、ワウディーを紹介してくれたんです。そこからワウディーのオーディションを受けて契約、レギュラーレッスンが取れました。

レギュラーレッスンはリトモスのみでしたか?

高橋-リトモスのみでした。レギュラーレッスンが週3〜4本。あとは代行レッスンをしてました。

しばらくしたら、エアロなどで人気の若手の魚原インストラクターがリトモスの資格をとってレッスンをしてるとお客様から聞きました。「じゃあ、受けてきます!」って、受けに行ったのが出会いでした。
魚原インストラクターに「高橋さんですよね?めっちゃリトモス人気ですよね?今度、イベント出ませんか?」って言ってもらえたんです。
初めて出たイベントが大阪府守口市で開催された第1回HappyAeroだったの。

青貝-えー?!あのイベントに出てたんだ!!すごい!!

高橋-リトモスのプレゼンターで宇津城先生・藤田優香さん・魚原インストラクターと私の4人で出演しました。それが初めてです。イベントにでるきっかけを作ってくれたのは魚原インストラクターですね。

大きいイベントに出たのが初めてで、「舞台でやってかっこいいじゃん」みたいな調子に乗ってる感じでした(笑)。一緒に出てた早川くんと奥村くんのエアロを受けたんだけど、その時の私はビハインドもチャチャチャもできなかった。
当時はエアロやってる先生がプレコリオやるみたいな感じで、お客様から「高橋先生どこでエアロやってるんですか?」って聞かれて「やって無いです」って答えた時のお客様の反応が屈辱でしかなくて・・・

宇津城先生や魚原インストラクターに相談したら、「今のままでええやんか」って言ってたんですが

「私が納得いかん」
「必要とされたいのに」
「せっかく人気が出たのにここでダメになったらいやだ!」
と思いました。

宇津城先生の養成コースに通いたいなと宇津城先生にも相談したのですが、子供が小さくて東京に通うのが無理でした。魚原インストラクターが通っていたオージースポーツ のエアロビクス養成コースに行きました。
それがリトモスはじめて3〜4年経ってからのことですね。

青貝-じゃあ、3〜4年はリトモスだけでやってたんですね?!それもすごいですね!!

高橋-色んなタイミングが重なり、色んな店舗でレギュラーレッスンが増え週7〜8本持っていました。でも、もっとレギュラーが欲しくなりましたね。
エアロでもプレゼンターとして出たいって気持ちが強くなり、3〜4年は修行しましたね。

でも、度胸が無い・・・自信の無さがレッスンに出てました。
リトモスでは自信あるのに、エアロになると「自分はダメなんだ」っていう自己否定が入ったから、チャンスはもらえど、失敗ばかり!

どういう失敗ですか?

高橋-ジョイントが出来へんねん。余裕が無いから。エアロのスキルも引き出しも無いのに「できる自分でいないと!」と、その穴埋めをするのに必死。コリオはわざわざ難しいのに、指導するスキルが無い。無茶苦茶なコリオでイベントに出てた。

結局はもうエアロのイベントには出れなくなった。理由は色々あるとは思うんだけどね。
「認められないと!」っていう意識に変わった瞬間、自分が崩れ落ちていった。

青貝-エアロの養成出てすぐプレゼンターの仕事があったのは、すごいですよね。

高橋-ジョイントする先生も、ベテランの先生が組んでくださってフォローしてくれたんですよね。それはありがたかった。でも出来ないのがわかってて、堂々と突き抜けたらよかったのに、それが出来なかった。
他の後輩とかは、もっと堂々としている子もいて、メンタル強い子とかもいた。それを横でみていく中で「自分は何をやってるんだ?!」ってなった。
若い子に混じって、嫉妬して、やっきになって、「認められないと、認められないと・・・自分のスキルが足りないんだ」って、苦しくて苦しくて、ほんまにここ数年までそんな感じでした。

青貝-え?!うそ?!私が大阪にいて会ってる時も?!そんな風に見えなかった!

高橋-あった、あった。ずっとあった。集客も気にしてた。

確かに、集客は気にしてましたね

高橋-レギュラーレッスンで、お客様に信頼してもらって、そのお客様をイベントに連れていくのが正しい道と思ってた。

でも、途中から切り替えて、レギュラーレッスンを大切にしてもう一回イベントにでるチャンスを狙ってた。

ダンスエアロのコンテストに出て優勝とか入賞も目指そうと思ったこともあったけど、もう気力も体力も無かった。「果たして、そんなスキルがいるのか?」ってなった。

エアロのコリオの参考にとYouTubeをみてたところ、ゼナの動画を見つけたんです。

ゼナとの出会いはYouTubeだったんですね!

高橋-そう!YouTube観て「この人ヤバく無い?」って思った。
大学がフランス語学科で

青貝-いちいちかっこいいなぁ(笑)

高橋-名前がZéna  Sahéliってフランス語じゃね?って色々と調べました。フィットネスコレクションという東京でのイベントにゼナが出演すると聞いては京都から参加しに行きました。

当時、増田志乃ちゃんとも知り合ってて、志乃ちゃんもゼナ好きで「ゼナがリミニのコンベンションに出るらしいよ」って聞いて、松永美鈴ちゃんと3人でリミニに行きました。リミニが先か東京か先かは覚えて無いですが、とにかく、ゼナの追っかけが始まったんです。

ゼナに会いに行くのは、どこでも行くようになりました。
レッスン受けます→出来なくて衝撃受けます→コリオ動画とって練習します→レッスンでやります→楽しい!!
ってなって、やっとエアロが楽しいと思いました。

1年くらいパリに行ってちゃんと修行したいと思ったけど、それは無理だから、「2週間ぐらい行きたい」って言ったら、志乃ちゃんも「私もいけるよ」って言ってくれたので行きました。
ちょうど、コンベンションが詰まってる時で、週末はコンベンション、平日はレギュラーレッスンを受けまくって、もうすごく楽しかったーーー!!
ちょうど怪我をしてたのでうまく動けなくて苦しかったけど、ゼナも喜んでくれて、すごく楽しかった。2週間のおかげで、ゼナの体も動きも解りました。

その頃くらいから、ずっと「ゼナとジョイントしたい夢がある!」って言ってました。ゼナを日本に呼んで、私の企画したイベントで、ゼナとジョイントする!!って。それを叶えました。それが2017年です。
もう、それがエアロの絶世期でした。

青貝-私も海外プレゼンターを呼んでイベントするって夢には見ますが、色んな問題があるじゃ無いですか。

プレゼンターを呼ぶという夢を実現したのはすごいですね

高橋-毎年、フランスに行くつもりだったのを1年我慢して、その交通費をイベントにつぎ込みました。結果、大赤字でしたけどね〜もう、真っ赤っか〜(爆笑)赤字だったとしても、日本滞在した4日間ゼナを独り占めして、イベントしたってのが価値として大きかった。

青貝-4日間でイベントは何本しましたか?

高橋-9本やったかな。

青貝-ゼナを呼ぶだけでなく、イベントもたくさんして、集客もしてるのがすごいなって思いました。

高橋-もうゼナが好き過ぎて、「叶えたい夢がある」ってずっとブログに書き続けてた。
読み直したけど、すごいこと書いとんなって思う(笑)
多分、それに感動してくれた人たちがゼナのイベントに行くって言ってくれたかな。それで、キャンセル待ちとかにもなりました。一緒に山川清志君鈴木和真君が「京都会場は抑えるから」「ジョイントするから」って動いてくれました。

青貝-えー?!優しい!!

高橋-その協力があったから、何とか出来ましたね。古川橋でやった時も「和真君がやるなら」って、和真くんのお客様も集まってくれました。

ゼナからは「世界中のどのイベントよりも良かった」って言ってくれたのは嬉しかった。通訳に斎藤洋子さんという方が東京からわざわざ来てくれたりしました。通訳さんがいてくれたので、ゼナがストレスが無く過ごせたのも大きかったようです。

個人でプレゼンターを呼ぶって、なかなか出来ないですよね

高橋-ゼナもハートの熱い人で、インストラクターのスキルでは見ない。
ゼナからすると、私にスキルが無いことやメンタルが弱いっては解ってる。「プレゼンターとしては足りないものがあるよね。」って言われてた。
でも、ゼナは「本当にゼナが大好き!本当に来て欲しい!って気持ちがわかるから。奈緒子だから行くんだよ。」って言ってくれた。

え、もう泣いていいですか?(涙

高橋-彼女はハートの熱い人で。心で動いてる人だから、来日する条件もすごく低くしてくれました。

ゼナを呼ぶってイベントも、リトモスをやり始めた時も共通してるのは
「楽しくてやってた事は、結果を出してる」ってこと。自分が心底楽しいって思って企画したことには、エネルギーを良い感じ使ってる。
その2つだけは、これまでのインストラクター人生の中でMAX楽しい時期かな。
ビジネスっぽくなるのは、自分のスタイルじゃ無いと思った。

苦しかったのは、ゼナのコリオから自分のコリオが生まれなかったんですよね。それが罪悪感でしか無かった。もう無理ってなった。
ある日、間違え無いはずの4週目のコリオを間違えたり、音がずれたり・・・レッスンは何とか終えたけど、お客様は「どうしたん?」って笑ってくれたんだけど、もう笑えなくて。帰りの車の中で大泣きした。

プレコリオなんかやってる場合じゃ無いって、レギュラーの本数も減らしました。
とにかくゼナに「成長したね」って言われたいと思って、がむしゃらになってやってた時もあった。けど、違うって思った。

青貝-すごい共感できるものがあります。

高橋-「フランスに1年行きたかったな」、「もっと早くエアロやっておけば」って思った。
顔も老けて行くのを見るのが嫌だった。だからキャップで顔を隠して、毎日エナジードリンク飲んで、緊張してレッスンして、終わるとお客様が盛り上がってわーって言ってくれて嬉しくて、それが麻薬みたいになってた。

自分で自分を追い込んでた。でも、そのおかげで指導力はついたと思いました。リトモスの1回目(初出し)とかは、エアロのスキルは役立ちました。

色んなスキルを積んで来たから、「認められるんじゃ無いの?!」って2018年ぐらいまでは思ってて辛かったです。すごく辛かったです。

青貝-その時の高橋先生って、コリオも難しいけど楽しくて、エネルギーも高くて、人気もあって・・・

私には順調にしか見えなかったです

高橋-見せ方って自分の設定だから、自分は順風満帆でこれからも期待されるように見せてた。ブログも前向きなことしか書かないようにしてた。

でも、だんだんストレスも溜まってきて。唯一の友達と思ってた人とも喧嘩して、どん底に落ちました。
「もっと自分をよく見て。自信を持たないと勿体無い」って言われてたけど、理解出来なかった。
スキルも無い、ダンスも中途半端。イベントに呼ばれるのが有名な人だと思ってたけど、私はイベントにも呼ばれない。何も達成できてないって思った。

本当に何がしたいか2018年の年末に見失ったんですよね。大きいことをするに疲れた。なのに名前が先走ってて、自分が追いついてなかった。

2019年1〜2月は本を読みまくり、自己改革をしました。自分らしいって何だろうって自分を見つめ直す時間を作った。「考え方をスイッチさせる」というのに出会って、自己改革しました。自分を否定して落ちていった自分を癒すのは自分しか無いって気づけたから今がある。
自分のことを認め出すと、レッスンが怖くなった。集客を気にしなくなった。

今までなら、出来なかったこともやってみました。
7月に長野にイベントで呼んでもらったことがきっかけで、登山にハマりました。そこで好きなことをする自分をもう一度、思い出しました。

今まではフィットネスの中で好きなことをやってました。「ダンスが好き」、「ゼナが好き」だからやってきたけど、もっと外側に好きなことを見つけました。

青貝-2019年の夏のリトモスコンテストに出てた時に、「すごい気合い入ってる!」みたいなSNSの投稿を見ました。

リトコンは以前にも出てましたよね

高橋-3回ぐらいは出ましたね。
「今年は、自分のスタイルを出し切って行く。」その想いに同意してついて来てくれる新しいチームでやりました。
衣装も自分のスタイルを出しました。コンテストの4ヶ月前から「お腹出すよ」って。そうしたら、みんなトレーニングしてくれた。でも一番は私が率先してやりました。
「先生やからできるって思ってたらコンテストなんか出られへんで」って言って。
メンタルを安定させたかったので、自分も本を読んで勉強して、その時その時の自分のベストをみんなに伝えて行きました。コンテスト当日までの過程も楽しんでもらいました。
もちろん、途中で抜ける人もいましたが、残ってくれた人のメンタルは強くなっていきました。

コンテストが終わった後も、レッスンに出てくれてるお客様からは「あの時、練習で先生が言ってたことが今わかる」って言ってくれるチームメイトもいますね。それは嬉しいですね。

今後、やっていきたい事はありますか?

高橋-悩んでる人に「こうやったら変われるよ」って伝えていきたいかな。インストラクター向けにメンタルカウンセリングやアドバイザーみたいなのもやってみたいかな。

青貝-先生に合ってると思います。
2019年の夏に私も先生とお話して悩みを聞いてもらって、すごく楽になりました。

高橋-フィットネス関係以外の新しい仲間と色んなイベントも企画してたいですね。まだ収入になるかは、わからないけどね。
自分の中で創作みたいなのもやってみたいかな。
大物になりたいんじゃなく、好きを発信していきたい。踊るアーティストとか踊る画家とかも面白いかなって思う(笑)

青貝-あのアーティスト、やたらダンスうまいな!みたいな(笑)

高橋先生は人を惹きつける力があると思うのですが、意識してますか?

高橋-よく言われるんだけど、意識してない。わからないんだよね。威圧感って自分では思うんだけどね。
もともと持ってたのかも・・・目立ちたがりだから。

華があるとかっていうのかな。華があるってもともと持ってるもの。

華があるって見えた時って好きなことを好きって出してた。素直にやってた。それが華に見えたり、エネルギーに見えてたかもしれないね。

※掲載内容は、2019年の取材時点での情報です。最新の情報は、オフィシャルHPやブログ等をご参照ください。