名前:武井 亮子( たけいりょうこ )
生年月日:’1988年2月4日
出身地:埼玉県
出身校:東京リゾートアンドスポーツ専門学校
担当レッスン:エアロビクス、ダンスエアロ、メガダンス、ペルビックストレッチ、ストレッチポール
契約会社:ゴールドジム ・ジェクサー ・メガロス ・池袋スポーツセンター ・ベルクススポーツクラブ ・北本ワコーレスポーツクラブ ・doスポーツプラザ 羽生店 ・ブリジストンスポーツクラブ・STUDIO HEART BEATING
ブログ:フィットネスインストラクター武井亮子のブログ
Twitter:@ryokotakei
Instagram :ryokotakei
契約ウェア:Marble
契約シューズ:AVIA
契約プロテイン:ロート製薬
何かスポーツをしていましたか?
武井-小学校から高校生の時までソフトボールをしていました。
青貝-え?私も元ソフトボール部ですが、どこの高校ですか?
武井-白鴎大学足利高等学校です。オリンピック選手になりたかったのと、実業団に入りたかったんです。

青貝-めちゃくちゃ有名な強豪校じゃないですか?!全国優勝やベスト4が当たり前の強い学校ですね。
武井-ゴリゴリに刈り上げたりしてましたよ。グランドでぶっ飛ばされて、毎日泣いてましたね。全国大会で2回戦で負け、初めて燃え尽き症候群になりました。
全国大会終わった後に、国体(国民体育大会)があって選手に選ばれてたんですけど、モチベーションが全然上がらなかったんです。
実業団からも声がかかってたんですけど、「こんな自分が実業団にいっても、やれる訳がない。母校に泥を塗りたくない。もうだめだ!」って思いました。
ソフトボールに対する気持ちが高過ぎて、妥協が一切できなかったです。
体を動かす仕事、スポーツ関係の仕事に就きたくて、東京リゾートアンドスポーツ専門学校の入学を決めました。
学校案内の本をパッと開いた時にエアロビしてるの様子を見て「え?めっちゃ面白いじゃん!ウケる!」と思って入りました。エアロビクスやったこと無いし知らなかったけど、高校生の時にエアロのインストラクターになるって決めてました。
専門学校はエアロビクスの専攻を選びました。私の学校はAFFAの認定校だったので、卒業する時にはエアロの資格があり指導もできる状態でした。卒業後の2008年4月から上尾スウィンスイミングスクールに就職しました。
青貝-専門卒の人って現場出てすぐ指導できるのすごいですよね。
武井-もう、この仕事でしか潰しが効かないなというか、この仕事しかないって思ってましたね。会社ではフィットネス部門にいました。
社員の時は何のレッスンをしていましたか?
武井-入社する時から「エアロビクスはしたい」って思っていて、最初にエアロビクスからレッスンを担当し始めました。それから少しずつフィットネスタイチーっていう太極拳エクササイズ、ストレッチポール、アロマストレッチなんかもやってました。
社員だとレッスン以外にも色んな業務がありました。そろそろレッスンに専念したいなと思って、2年半後に辞めました。
青貝-資格もあって、専門学校出身で、レッスンもたくさん持ってたら、会社側からやめないでと言われませんでしたか?
武井-上司はすぐ理解してくれましたが、社長が大変でした。なので、相談して、相談して、相談して・・・辞めました。辞めた後もフリーとして雇ってもらいレッスンを頂けたので有り難かったですね。良好な関係で辞めれました。
青貝-保証がある社員からフリーランスになるのは、結構リスクだと思うのですが、どう踏ん切りをつけたのですか?
武井-今考えたら、若かったし勢いでした。
その時は、毎日電卓叩いてました。月に何本あったら生活できるか計算してました。あとは実家だったってのもありますかね。
退職する前からフリーの人から情報もらって、オーディション受けに行ったりしてました。
社員しながらオーディション受けるのは大変だった?
武井-大変だったけど、意欲の方が高かったですね。
青貝-フリーになってレギュラーは何本でしたか?
武井-週10本ぐらいですかね。10本無いと踏み切れなかったと思います。
エアロ以外にもステップなど色々レッスンしていたので、2コマもらえるっていうのは良かったですね。
人生の分岐点になったというメガダンスをするキッカケは?
武井-あるクラブで、いつも自分のレッスン前にあるダンスプレコリオのクラスがありました。そのクラスがすごい盛り上がってるのを毎週、目の当たりにしたんです。
「これ、すごい!私のクラスでこんな盛り上がりは無い!こんなに笑ってるお客様見た事ない!」って衝撃でした。
その時、ちょうど自分でも「変わらなきゃ」って思ってた時期でした。
何か新しい事したいと思って、その先生に「リトモス・ZUMBA・メガダンスだったらどれが一番、何もやった事ない初心者にやりやすいですか?」と聞いたところ、「メガダンス」って答えでした。それでメガダンスの資格を取得しに行きました。
私が受講した時は、奈蔵和香さんがマスタートレーナー、高橋奈津さん(以下、なつさん)がサブの時でした。
わたし真面目にやってるのに全然出来なくて、すごい申し訳無かったですね。たまたま更衣室でなつさんと2人になった時、「全然、出来なくてすみません」って言ったんです。そしたら、なつさんが「全然だよ!」って言ってくれたのが、有り難かったです。
資格講習の最後に、なつさんが2曲ぐらいレッスンをしてくれました。その姿をみた瞬間に「この人すごい!この人みたいになりたい!」って思いました。
なつさんのレッスンやサークル、ワークショップを調べて受けに行きました。
そして、なつさんが東京に出るキッカケになりました。なつさんがいなかったら、東京に出てきて無かったですね。
武井さんにとって埼玉と東京は違いましたか?
武井-埼玉でも通えない訳じゃないんですが、少し離れた場所に住んでたので東京で夜のレッスンを担当出来なかったんです。
あと、埼玉だと自分の感覚的にぬるま湯に浸かってました。自分で自分を高められなくて、そんな自分も許せなかったです。勝負出てない自分も嫌で、葛藤がありました。
同級生が仕事や子育てを頑張ってる時期に「私、このままでいいのかな?」って思ってました。それが25歳の頃でした。もう、「東京で揉まれよう!」と思いました。
埼玉のクラブをほぼやめて、違うクラブに入ってレッスンしてましたが、東京きてすぐハゲましたね(笑)ストレスがすごくて!!
ストレスの原因は環境の違い?
武井-有難い事に、すぐメガダンスのレッスンを頂けたのですが、めちゃくちゃ下手だったので練習をすごくしてました。と同時に教育関係の仕事がしたくて資格試験も受けてました。
両立がすごいストレスでした。自分の中でも初めてキャパオーバーだなという感じでした。
メガダンスの練習しても追いつけなくて、試験勉強するけれどなかなか良い結果が出ない。
やった事ない事ばっかりやってましたね。
東京に出てきてすぐは、自分の力量が無く、私のレッスンに批判もあったんですね。でも私は頑張りたくて、「1年はやり続ける」ってルールを決めてました。でもある日、全身に蕁麻疹が出来ましたね(笑)
青貝-ひー!!
武井-その時、精神的に超辛い時でした。
レッスンも行きたくなくて、レッスン前に泣きそうにもなってました。
ハゲるは全身に蕁麻疹ができるはで、あの時期は辛かったですが、乗り越えられてよかったです。
どうやって乗り越えたの?
武井-頑張るって決めてました。頑張るしかない!自分を高める!って。
週27本レギュラーレッスンして、ワークショップも受け「一刻も早く、うまくなりたい!」という思いが強かったです。
宇津城さんが講師をしているゴールドジムのエアロビクス応用科にいった時、宇津城さんに「なんで、亮子ちゃんそんなに生き急いでるの?」って言われました。
でも、一刻も早くうまくなりたかった。当時、ナオキさんや、なつさんや、本間さんなど、周りの人が偉大すぎて、その環境にいた事で「どうしても早く、そうなりたい!」と思ってました。
2年前ぐらいまではそんな感じでした。野心強めでギラギラしてましたね。
何があって、落ち着いたんですか?
武井-なつさんみたいになりたくて、ずっとくっついてました。その時、「なつさんになれない」というのが解かってなかった。
私が持ってるものとは違う。なつさんみたいになりたいのに、近づけなくて葛藤がすごくありました。
なつさんのようなマスタートレーナーって、圧倒的なスキルや指導力とか、武器がないといけないなって思いました。自分でも武器を探してたんですけど、わかんなくて・・・。
その時って、足りないものばっかり探してたんですよね。
技術とかは真似したいなと今も思ってるんですが、
「なつさんにはなれない!」って振り切ったんです。
「違うかも?」「私にはエアロビクスだ!」って、速攻エアロビクスにいきました!
すぐ本間友暁さん(以下、本間さん)に相談して「勉強させてください。」ってお願いしました。その時、「僕みたいにはなれないよ」って本間さんに言われました。その時は「なんて冷たい人なんだ!こんなに意欲的なのに!」って思いましたね。その言葉の意味は今になって、わかるんですけどね。
今の自分のエアロビクスのスタイルを作れたのは、本間さんのおかげです。
本間さんからは「武井ちゃんはカウントしか合ってないんだよね」と言われて初めて「体の使い方はオマケぐらいにしか思って無かったんだ」と気づきました。ワケ解んないコリオを作ってる時もありましたが、今は体の使い方や流れを大事にするようになりました。
本間さんのおかげで、エアロを前よりも理解出来ました。なんでやってるかが明確になりました。
「私のエアロってこうですよ」っていうのが出来ました。
それから、2018年30歳の時にジェネレーションネクストというコンテストに出場しました。1年前から出場を決めていたので、「コンテスト頑張りたいと思ってるんです」と本間さんにお願いして、コリオやコリオの展開をみてもらうようになりました。
コンテストまでの期間どのペースで練習してましたか?
武井-当時は1時間半〜2時間がっつりの練習が週1回。本間さんのレッスンを週1〜2本受けて、本間塾というワークショップも参加してました。
青貝-すごい!
武井-それまでコンテストに出たことがなかったのですが、大会までの1年間、本間さんに教えてもらったおかげで準優勝出来ました。

技術的な指導以外にも
「なんで、この展開にしたの?」
「なんでインストラクターやってるの?」
「何のためにやってるの?」
「ベクトルどこ向いてるの?」
という話をしてくださいました。
練習の時期は本当に辛かったですけどね。
1年間やったことが大会では出せましたか?
武井-当時、イベントとか出たことが無かったんです。誰も私のこと知らないお客様の前でリードを取るのは、いつものレッスンとは違う空間で、1回心折れました。
見ていてくれた本間さんにも、もう申し訳ない!と思いながらやってましたね。
大会の動画を今、改めて見ても「必死だな!」って思いました。やばかったです。
でも武井亮子らしさがありました。私ってこういう人だなっていうのが解りました。
あと、人の良さも認められるようになりました。前までギラギラしている時は、同期に嫉妬して動画とかも見れなかったのですが、初めて大会に出て、周りを認められるようになりました。周りからも認められたのが、嬉しかったですね。

それまでは認めて欲しいという承認欲求に苦しめられていました。
でも結局、自分を認められないから、人を認められなかった・・・。
今の方が、皆のためにやってる感があるなと思いますね。
自分も笑って、みんなも笑ってる姿が好きだなって思います。
技術的なものやコリオの良さは絶対条件にありますが、最後にみんなが「笑っちゃった。」「楽しかった。」「次も出たいな。」って、プラスになるきっかけ作りが私の役割なんだと気づけました。本間さんはそういった事に気づかせてくれました。
青貝-なかなか、そこ導ける先生っていないですよね。
武井-本当に偉大だなと思いました。本間さんのエアロもめちゃくちゃ好きなんですけど、「こんな風に人を導けるんだ!」って思いました。
それまで露出をしてなかったのですが、ジェネレーションネクストがキッカケで、いろんなイベント等に呼ばれるようになりました。
たくさんのお客様に私のレッスンを知ってもらえて、そこからレギュラーレッスンにも来てくれるようにもなり嬉しかったですね。
前に石塚直樹さん(以下、直樹さん)から「指導者は人の人生を変えることができるんだよ」って言われてて、まさしくそうだなと思いました。
なつさん、本間さん、直樹さん、3人ともタイプが違うのですが、この3人の先生が間違いなく私の人生を変えてくれました。この3人は間違いなく死ぬ前に思い出す人ですね。
石塚さんとの出会いは?
武井-直樹さんは、なつさんが紹介してくれました。「この日空けといてね」って言われて、一緒に行ったのが目黒で開催されたDSBでした。DSBの演技を見て感動して、めっちゃ心が震えてたんです。
DSBの最後に直樹さんが「心が踊る」って表現してたんです。そこで「私の感覚って心が踊るっていうんだ!この人すごい!」と思いました。その時までは、直樹さんの会社名のHEART BEATING ってよく解んなかったんですけど、「え?HEART BEATINGって心が踊るって事なの?」って感動しました。
なつさんが直樹さんを紹介してくださって、それから仕事ふってくださったり可愛がってもらってます。おこがましいんですが、直樹さんと感性というか感覚が似てると思ってます。兄妹みたいな感じです。
ふざけたこと話す事が多いのですが、直樹さんからの言葉は心に残ることが多いですね。心に響く事を常に言ってくださる人です。

エアロブックスはどういう活動ですか?
武井-エアロブックスは、体験型親子プログラムです。エアロビクスと絵本をかけ合わせた親子向けの活動です。スタートして2年になります。

青貝-エアロブックスのはじまりは?
武井-自分の同級生がなにやってるのか?って考えるようになった時期に、友達の一人に大河原悠哉さんという絵本専門士の子がいました。フェイスブックや新聞で活動を見るうちに、私の仕事に対する考えの「心から元気、心から笑顔になって欲しい。私が何かのキッカケになれば。」は、この子の考えてる事と近いんじゃないかなと思うようになりました。
久しぶりだったのですが、仕事の話をしたいとアポを取りました。会って話を聞くとやっぱり自分のやってる事と絵本は共通する部分があるなと思いました。その後すぐ企画書を作って提案し一緒にやる事になりました。
企画書を持って、アポ無しで色んなところに行きました。やっと勝ち取れたのが、西武池袋の屋上のイベントでした。最初はすごく緊張しましたが、お客様や色んな方が来てくれて嬉しかったです。今は暖かい時期に定期的にやってます。
2020年は色んな場所でやる予定だったのですが、コロナの影響で延期になってるのがちょっと残念なんです。
10年以上、仕事をする中で変わらない信念はありますか?
武井-「心から元気に・心から笑顔に」というのを人生のテーマにしてますね。インストラクター業について、一番やりがいだなと思うのは、みんなが楽しんで笑ってるのを見るのが幸せだなと思います。
些細な事でも「笑っちゃった」「思い出し笑いしちゃった」とか、何でも良いので、私がやってる活動がみんなの気持ちがプラスになる・前向きになるキッカケになれば嬉しいです。関わる人が笑顔になってもらって、笑顔の輪を広げていきたいです。

今後、何か挑戦したい事や始めたい事は?
武井-新たにやりたいことがあって、仕込んでます。ちょっとずつ形になってるので、ちょっとずつ発信していけたらと思ってます。
青貝-ワクワクを仕込んでるんですね。楽しみですね。
お客様へのメッセージをお願いします。
武井-今、コロナの影響でレッスンができてない状況ですが、お客様からメッセージを頂いたり嬉しかったです。
会えない日々が続いているけれど、また一緒にワクワクしたいなと思ってます。また会えた時は、全力の笑顔で楽しみたいと思います!!

※掲載内容は、2020年4月の取材時点での情報です。最新の情報は、オフィシャルHPやブログ等をご参照ください。